籬神社(曲木神社)への参拝|塩釜市の籬港・曲木島にある神社

籬神社(まがきじんじゃ)。宮城県塩釜市の漁港・籬港の港内に浮かぶ島・曲木島にある神社です。この神社に参拝するには朱色に塗られた鉄の橋を渡らなければなりませんが、普段は門が閉じています。本日(1/3)は門が空いていて、境内を参拝することができました。

籬神社(曲木神社)

籬神社 アクセス|交通|徒歩

  • JR仙石線下り東塩釜行き(もしくは石巻行き)に乗り、東塩釜で降りる。
  • 改札を出たら国道45号線を渡り、左(松島方面)へ。
  • 右手にニッサンのディーラーが見えたら右、また右、漁港が見えたら左と曲がる。
  • 100メートル程行くと右手に見える。

JR仙石線東塩釜駅。この駅を背にして国道を渡る。

この横断歩道を渡る。左手にはユリアゲヤ(酒屋さん)、右手には造船所。

右手にニッサンのディーラーが見えたら右に曲がる。

最初の交差点で右に曲がり、右手に造船所を見ながら進む。

漁港の手前で左折し、200メートル程進む。

到着。ここが籬神社がある曲木島です。鉄の赤い門が閉じられていますね。

籬神社の全景

政宗が育んだ”伊達”な文化 籬が島

「我が背子を 都にやりて 塩竃の まがきの島の まつぞ恋しき」など多くの歌に詠まれた歌枕である籬が島は、塩竃湾の北岸近くに浮かぶ周囲150mの島です。『おくのほそ道』には、塩がまの浦辺から、漁師たちが小舟を漕ぎつらねて捕った魚を分け合う声々とともに、夕月が照らし出すように幽かに望むことができたと記されています。この情景に松尾芭蕉も心を打たれたのでしょう。

曲木(籬)島

周囲約155メートルの曲木島は、籬島とも称し往昔鹽竈神社築造の際「曲木を巧みに用いた」籬島名神を祀る小祠が島名の由来といわれている。

市街地造成、商港、漁港の修築等のため、大正以降幾多の塩竃湾内に浮かぶ島々が消え去ってゆき、現在湾内に浮かぶ唯一の島となった。この島は古来名島として歌枕に使われ古今和歌集、続後撰集、新勅撰和歌集、続古今和歌集、不木和歌集(抄)などにはこの島を詠みこんだ歌が数多く見られる。

「我が背子を 都にやりて 塩竃の まがきの島の まつぞ恋しき」
(古今集巻第二十・東歌)

昭和38年、漁港建設のためこの島を含む対岸一帯が国の特別名勝区域から解除されたが、以上のような歴史的な背景を持つ島として、昭和41年9月5日、市の名勝として指定された。

平成7年 塩竃市教育委員会

曲木島への架け橋

曲木島の島らしい風景です。

水がキレイです。ビッシリと張り付いた岩ガキ。そのまま食べられそう。



入口の門が開いていますのでそのまま進みます。その先にも門があり、そこを過ぎるとようやく鳥居が見えてきます。

籬神社の鳥居から本殿へ

鳥居の手前に「おくのほそ道」の石碑。松尾芭蕉さんもこの地を訪れたのでしょうね。



鳥居をくぐって歩いていくと、本殿が見えてきます。


本殿です。朱が鮮やかですね。

コカ・コーラの椅子も、心なしか色が朱に近いような気がします。

籬神社の対岸




籬神社から対岸にある岸壁を眺めます。籬神社には鳥居が2か所にあります。先ほど通ってきた鳥居の他に、海側から籬神社に入る鳥居です。

籬神社のもう一つの鳥居



海側から眺める鳥居です。私の背後はもちろん海です。海から人が上陸するのはたぶん無理なので、海側から鳥居をくぐれるのは、神様だけかもしれません。

曲木神社由来

対岸から眺める籬神社

先ほど曲木島から見えた、対岸にある岸壁に行ってみました。そこから籬神社を眺めてみました。


まさか籬神社に参拝できるとは思ってもみなかったので、とても珍しい体験をさせてもらいました。御朱印とかお札、おみくじなど、何もありませんが、そこだけ空気が違うような、ちょっと落ち着いた雰囲気の神社でした。機会があればまた行ってみたいと思います。

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